ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会 管理部 > 文化財保護課 > 「松山城太鼓門」ほか3棟及び「旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)主屋」ほか2棟が登録有形文化財(建造物)に登録されます(文化審議会答申)

本文

「松山城太鼓門」ほか3棟及び「旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)主屋」ほか2棟が登録有形文化財(建造物)に登録されます(文化審議会答申)

ページID:0080379 更新日:2024年7月19日 印刷ページ表示

 国の文化審議会は、7月19日(金曜日)に、松山市所在の「松山城太鼓門」ほか3棟及び内子町所在の「旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)主屋」ほか2棟を登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申しましたので、お知らせいたします。

松山城太鼓門、松山城太鼓門南続櫓、                                       松山城太鼓門北続櫓、松山城太鼓櫓

1.建設年代
 太鼓門…昭和47年(1972)、太鼓門南続櫓…昭和47年、

 太鼓門北続櫓…昭和47年、太鼓櫓…昭和48年(1973)

2.登録基準
 一、国土の歴史的景観に寄与しているもの

3.特徴・評価

 松山城は、松山平野中央に位置する勝山に築城された近世城郭で、今回の物件は戦前の実測図、古写真に基づいて昭和47、48年に復元されたものである。               

 太鼓門は木造二階建の城門で、下層を門、上層を渡櫓とし、南北方向で南続櫓と北続櫓に接続する。太鼓櫓は南続櫓から南西に延びる石垣上に建つL字型の櫓である。門や櫓の城外側には、外敵に対峙するため石落としや鉄砲狭間、矢狭間を配し、矢や鉄砲玉の貫通を防ぐ分厚い「太鼓壁」とする。

 松山城は本丸全体にわたって城門や櫓、塀などが建ち並んでおり、江戸時代の城郭の形が良く保たれている。焼失した櫓や門などについても昭和後期に復元されており、松山城の壮大な景観を形成している。

 

松山城太鼓門   松山城太鼓門南続櫓

(1)松山城太鼓門              (2)松山城太鼓門南続櫓

 

 

松山城太鼓門北続櫓   松山城太鼓櫓

(3)松山城太鼓門北続櫓           (4)松山城太鼓櫓

 

旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)主屋、                                    旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)土蔵、                                    旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)離れ

1.建設年代
 主屋…江戸末期/明治中期・同43年(1910)増築、昭和前期・同63年(1988)改修
 土蔵…明治後期/昭和63年改修
 離れ…昭和7年(1932)頃/昭和63年改修

2.登録基準
 一、国土の歴史的景観に寄与しているもの(土蔵、離れ)
 二、造形の規範となっているもの(主屋)

3.特徴・評価
 
 旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)は、かつて酒造業や薬種業を営んだ元商家の住宅であり、内子町の六日市地区、旧大洲街道沿いに位置する。現在は、内子町歴史民俗資料館として、町内の歴史を伝える拠点として活用されている。

 主屋は二階建切妻造桟瓦葺で正面に庇を通す。江戸末期の建築とされる通り土間式の棟と、明治43年(1910)に増築された前土間式の棟が東西に並び、一つの建物としており、町の発展の経過を伝える。

 土蔵は二階建切妻造桟瓦葺妻入で、かつては酒蔵として使用されていた。明治後期の建築とされるが、小屋組にトラスを用いず伝統的な登梁としている点が古式である。

 離れは二階建入母屋造桟瓦葺で、二階の建ちが高く、二階座敷を設ける点やガラス戸が多用される点から昭和初期の特徴をよく残している。

 

旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)主屋   旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)土蔵

(1)旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)主屋 (2)旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)土蔵

 

 

旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)離れ

(3)旧佐野家住宅(商いと暮らし博物館)離れ

 

 


AIが質問にお答えします<外部リンク>