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~愛媛の水事情~ 3.主な水資源開発の歴史
東予・中予・南予それぞれの地域で、これまで行われたダムによる主な水資源開発の歴史をご紹介いたします。
(1)東予地域の水資源開発…新宮ダム(独立行政法人水資源機構)、柳瀬ダム(国土交通省)、富郷ダム(独立行政法人水資源機構)
東予地域の水資源開発の代表的事例として、四国中央市への生活用水や工業・農業用水を供給している新宮ダム・柳瀬ダム・富郷ダムの吉野川水系の銅山川の開発があります。
四国中央市は海岸部に狭長な土地がありますが、山間部が海に近接しており、大きな河川がないため、水資源に乏しく古くから干ばつに苦しめられてきました。安定的な水資源の確保は、当地域の悲願であり、古くは江戸時代に法皇山脈を隔てた銅山川からトンネルで分水することを着想しました。その後、多くの先人達の熱意と努力とともに、下流の徳島県をはじめとする関係者の御理解と御協力により、悲願であった柳瀬ダムが昭和28年に完成しました。その後、さらなる工業用水や水道用水等の需要に対応するため、昭和50年に新宮ダムが、平成12年には富郷ダムが完成しました。
このダム開発と分水により、四国中央市は現在の日本の製紙産業の中心的役割を担うまでに発展しました。
(2)中予地域の水資源開発…面河ダム(農林水産省)
中予地域の水資源開発の代表的事例として、道前平野(西条市)及び道後平野(松山市、伊予市、東温市、松前町、砥部町)へ農業用水、松山・松前臨海地区へ工業用水を供給している面河ダムの開発があります。
道前平野及び道後平野は瀬戸内式気候に属し、雨量が少なく昔からかんがい用水が不足し、しばしば干ばつの被害を受けており、恒久的な対策が求められていました。また、臨海工業地帯の水需要の高まりを受け工業用水の確保も望まれていました。そこで、高知県に流れる仁淀川水系割石川にダムを建設し、道前平野と道後平野の農業用水や松山・松前地区の臨海工業地帯の工業用水として分水するほか、その導水途中で発電に利用する計画が立案され、下流の高知県をはじめとする関係者の御理解と御協力により、昭和40年に面河ダムが完成しました。
このダム開発と分水は、道前平野及び道後平野の農業用水の安定供給と工業用水の確保など、地域の発展に大きく貢献しました。
(3)南予地域の水資源開発…野村ダム(国土交通省)
南予地域の水資源開発の代表的事例として、古くから水不足に悩まされてきた南予地域沿岸部へ生活用水や農業用水を供給している野村ダムの開発があります。
南予地域沿岸部(八幡浜市、宇和島市等)は山が海に迫り、平野が少なく、大きな河川もないため、毎年のように水不足に悩まされてきました。特に昭和42年に西日本を襲った大干ばつは、90日間雨らしい雨はなく、多くの水道施設で断水し、かんきつ類等の農産物にも大きな被害が発生しました。そこで、西予市・大洲市を流れる肱川上流域にダムを建設し、分水することとしたもので、野村ダムは昭和57年に完成し、その水は幹線水路を通じ、3市1町(宇和島市、八幡浜市、西予市、伊方町)に水道用水として供給されているほか、同市町の樹園地(約7,200ヘクタール)のかんがい用水としても供給されています。
このダム開発と分水は、愛媛県南予地域の生活用水不足の解消と安定した農業用水の供給等、地域の発展に大きく貢献しました。