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地域協働ネットワークオンラインセミナー 是澤博昭氏の講演内容について(令和5年度)

ページID:0041501 更新日:2023年12月5日 印刷ページ表示

講師

大妻女子大学

教授・博士(学術) 是澤 博昭 氏

プロフィール

1959年、愛媛県宇和島市生まれ。「近代日本経済の父」と称され、公益・社会貢献活動の先駆者でもある渋沢栄一がその生涯において行った幅広い活動と、渋沢が取り組んだ関連分野を研究する渋沢研究会の代表を務める。

[著書]『青い目の人形と近代日本−渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方』『軍国少年・少女の誕生とメディア』(共編書)『平和を生きる日米人形交流』ほか多数。

講演テーマ

渋沢栄一と宇和島、そして松山からの伝言

〜愛媛とのゆかり、語られた言葉〜

渋沢栄一
埼玉県深谷市所蔵

講演内容

渋沢栄一の生涯と日本の民間経済界に果たした役割

近代日本の民間経済界を作り上げた人物として知られる渋沢栄一。農民出身の渋沢は、多角経営を営む家業の手伝いから商才を開花させます。一方で、父の教えで利益と道徳の両立を説く論語に幼き頃から親しんでいました。その考えを携え武士となり、頭角を表した渋沢はフランス留学を経て明治政府の役人に任命され、貨幣制度の導入や富岡製糸場設立や鉄道建設、郵便制度の確立などに携わります。大蔵省退官後は、日本初の国立銀行を設立し、欧米風の財界作りに尽力。関係した会社は500社にも上ります。また、彼は社会貢献活動の先駆者でもあります。日本の中で遅れたインフラ整備、社会福祉や教育、外交などを全て担いながら、日本の近代経済社会を支えた人。それが渋沢栄一であり、そんな渋沢栄一だからこそ新1万円札の肖像になってしかるべき存在、日本の中でかけがえのない人物として評価されるわけです。

講演資料1-1

講演資料1-2

渋沢家を支えた宇和島藩ネットワーク​

渋沢栄一が頼りにした人脈の中に、宇和島人脈と言われるようなネットワークがあります。そのきっかけは、明治政府に入ったときの直属の上司であった宇和島藩8代藩主・伊達宗城との出会い。実は渋沢を政府に推薦したのは伊達宗城でした。恩義を感じた渋沢は、以降自身の事業展開の中枢として宇和島の人材を積極的に登用。第一国立銀行の取締役に任命した伊達家家令の西園寺公望は、渋沢の片腕として活躍しました。さらに西園寺は渋沢の長女・歌子と、日本の法学の基礎を作ったといわれる宇和島出身の法学者・穂積陳重との縁談を持ちかけ、結婚のきっかけを作った人物でもあります。そして二人の結婚の媒酌人は、大審院院長として大津事件に関わった宇和島出身の児島惟謙が務めました。

渋沢家の同族会が穂積家で開かれるときには、宇和島のさつま汁が振る舞われ、渋沢もおいしいと喜んで食べたという記録が残っています。また、穂積の紹介で渋沢家の書生となった宇和島出身の八十島親徳は、渋沢家の一番番頭として活躍しました。

講演資料1-3

愛媛の人々に託したメッセージ私たちが学ぶべきこと

大正4年、宇和島出身の実業家・山下亀三郎の要請で愛媛を訪れた渋沢は、松山で講演を行います。要約すると、「商工業者が低く見られる現状を打破するために、自分は民間の経済界に入った。つまり政治と対等な日本の実業界の確立こそが自分の願いであり、官尊民卑があってはいけない。国を強くするためには、国を豊かにしなければならない。そのためには商工業の発展が必要である。だから自分は商工業から、日本という国を作るために実業界に身を投じた」といった趣旨の内容でした。

勤勉、高潔な人格で、富を得たものでなければ、それは本物とは言えない。渋沢はこのことをすごく大事にしていました。手段を選ばず儲ける、あるいは儲けようとする企業家、そして利益のために政治の力を利用する人々はたくさんいると思います。そして、手段を問わず成功した人をもてはやす世間の風潮があります。渋沢が愛媛で108年前に語った言葉と同じことが現代社会にも続いているのではないでしょうか。実業界を引退する目前、75歳の渋沢が愛媛の人々に伝えたかったメッセージの意味は、これから実業家を目指す若い人たちには道徳心の大切さを、そして実際今、商業に携わっている人には、政治とのほどよい距離を保ちながら、実業人としての倫理観を忘れず心を保ちながら、健全な経営に努めることを伝えたかったのではないかと思います。

講演資料1-4

講演資料1-5

【質疑応答】

  • 渋沢栄一は生涯にわたり、多方面で人的ネットワークを構築していますが、この人脈構築に成功した要因は何だと考えられますか。
    A/渋沢の人脈作りの根幹は、その人物そのものを見て、信頼をおける人間かどうかを見抜く力というか態度だと思います。損得で人を見ると目が曇ってしまい物事の本質が見えません。やはり相手と冷静に接して客観的にみるという彼の眼力こそが人脈作りに成功した要因だと思います。
  • 渋沢栄一が来県した際に、愛媛の人に託したメッセージで重要だと思うポイントを改めて教えていただけますでしょうか。
    A/温和で人がいいのが愛媛県人の特徴だと思いますが、渋沢は「狭い枠内で自分たちだけで満足している傾向がある」ことを指摘しています。いわゆる地域というものを自分たちの狭い枠に限定するのではなく、より広い視野から考える。その地域を支えるのは、実は県であったり国であったり、あるいは世界です。その背景にあるものを常に意識しながら、人脈作りや地域との連携をはかる必要がある。地域から自分の故郷全体を豊かにする貢献への一層の努力を求めたのだと思います。

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