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「森家住宅主屋」「旧村上家住宅主屋」など9件が登録有形文化財(建造物)に登録されます(文化審議会答申)

ページID:0003948 更新日:2023年3月24日 印刷ページ表示

国の文化審議会は、3月17日(金曜日)に、西条市所在の「森家住宅主屋」、大洲市所在の「旧村上家住宅主屋」など9件を登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申しましたので、お知らせします。

森家住宅主屋、森家住宅庭座敷及び塀、森家住宅離れ、森家住宅湯殿、森家住宅御成門及び塀

建設年代
 主屋…天保12年(1841)、庭座敷及び塀…江戸末期、離れ…大正前期、湯殿…天保12年(1841)頃、御成門及び塀…文久4年(1864)頃

登録基準
 一、国土の歴史的景観に寄与しているもの

特徴・評価
 森家住宅は、西条市氷見の街道沿いに所在する大地主の住宅である。主屋は二階建平入の町家で、表と裏の2棟が軒先を接して並び、表の棟には接客用の見世之間や座敷を置き、裏の棟には仏間や台所などの内向きの部屋をおく。通りに対して長大な構えで、二間の式台及び床付玄関を構える格式あるつくり。主屋の南西には8畳と12畳の続き座敷を持つ庭座敷を、東には茶室を備えた離れを配する。主屋の北に渡り廊下で続く湯殿は庭側に湯船を置く。敷地の北には、藩主専用の御成門が設けられる。
森家住宅は、石鎚山に続く街道沿いで江戸時代に賑わった旧氷見村における大地主の屋敷構えを伝える重要な建物である。文久4(1864)年の森家文書には、西條藩主が森家に御成したときの部屋の使い方が詳細に書かれており、これに対応する建物が現存することが、一層森家住宅の価値を高めている。

森家住宅主屋、森家住宅庭座敷及び塀、森家住宅離れ、森家住宅湯殿、森家住宅御成門及び塀の画像

旧村上家住宅主屋、旧村上家住宅付属屋、旧村上家住宅土蔵、旧村上家住宅貸家

建設年代
 主屋…明治2年頃、付属屋…江戸末期、土蔵…明治中期、貸家…江戸後期

登録基準
 主屋、付属屋、貸家…一、国土の歴史的景観に寄与しているもの、土蔵…二、造形の規範となっているもの

特徴・評価
 旧村上家住宅は、旧大洲城下町に所在する豪商の住宅である。主屋、付属屋、貸家が横並びに建つ町屋建築で、主屋と付属屋は通りに面した1階を軒の深い出桁造とする。主屋の東側に中庭を挟んで建つ土蔵は、白漆喰塗で3面の腰壁を海鼠壁とする整った外観をもち、肱川の氾濫による水害を避けるために1階の床が高くなっている。
江戸末期から明治前期に発展した旧大洲城下町における豪商町家の歴史的な発展や意匠を知ることのできる貴重な建物である。

旧村上家住宅主屋、旧村上家住宅付属屋、旧村上家住宅土蔵、旧村上家住宅貸家の画像


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