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更新日:2018年4月1日

愛媛県史にみる愛媛文化史・彫刻

 愛媛県史にみる愛媛文化史(昭和まで)

彫刻

出典:愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

「概説」より(抜粋)

彫刻

神仏や仏像は信仰の対象として崇められてきたので、古代・中世以降その作品が少なくない。

仏像には、平安時代の特色を表す木心乾漆菩薩立像(北条市庄薬師堂)をはじめ17躯、神像には、鎌倉期の作と思われる大山祇神社の木造御神像・木造女神坐像など21躯が国重要文化財に指定されており、その他、県指定仏像34躯、神像9躯などについて愛媛県教育委員会の資料をもとに解説した。

宝厳寺の一遍上人の木像は、郷土出身者を尊像にした点注目すべきである。・・・(4ページ) 

「第1章 彫刻、第1節 時代別作品解説」より(抜粋)

国指定重要文化財の彫刻(38躯) 

木心乾漆菩薩立像、木造菩薩立像

(各1躯、松山市庄 薬師堂 庄地区蔵)

北条市(現松山市)庄は、立岩川が山間から北条平野に出会ったあたりの北部山麓にある。荘園に由来する地名といわれるこの「庄」という地区には、古い二体の菩薩立像が伝えられている。

その一つ木心乾漆菩薩立像は、像高233.2センチメートル、木心はハルニレ材と思われる。・・・唐招提寺講堂の諸像に見られるような奈良朝風の像容であり、製作の時代を明らかにするものはないが、平安初期ころまでのものとみられる。

木造菩薩立像の方は、像高215センチメートル、ヒノキ材、一木造で乾漆像と同様に唐招提寺の諸像に共通する点があり、膝下の裳の衣文の翻波式の技法など、よく平安初期の特色をあらわしている。・・・(113ページ) 

木造阿弥陀如来坐像、木造釈迦如来坐像

(各1躯、松山市南江戸 大宝寺蔵)

国宝の大宝寺本堂に安置されている阿弥陀如来坐像と釈迦如来坐像である。大宝寺は、松山市西部の西山南麓にあり、真言宗豊山派の寺で、大宝年間(701から704)の創建と伝えられている。

この阿弥陀如来坐像は定印を結び、像高68.2センチメートル、一木造で、豊かな体躯を端正な法衣に包み、秀でた眉、静かな半眼、しっかりと結んだ口元は、内なる力を抑え、久遠の真理を求める瞑想の姿である。刀法は深く、貞観様式を多く盛った作風で、藤原時代初期の作とみられる。

釈迦如来坐像は、右手施無畏印、左手拳印を示す。像高83.6センチメートル、一木造で、秀でた眉、高い螺髪、切れ長の目、わずかに微笑を含む口元、豊かな体躯、どっしりと趺坐した姿など、前代の手法を踏襲した藤原時代初期の作と見られる優品である。・・・(115ページ) 

木造阿弥陀如来坐像

(1躯、松山市南江戸 大宝寺蔵)

この阿弥陀如来坐像は、大宝寺の本尊として国宝建造物である本堂の正面厨子に安置されている。秘仏としてみだりに開かれず、古くから寺では薬師如来として信仰されてきたといわれる。

像高は137.9センチメートル、頂上より顎まで47.3センチメートル、膝張り119.7センチメートル、膝奥78.8センチメートルの堂々とした大形の寄木造坐像である。目は半眼に伏せ、丸い顔、緩やかに流れる衲衣の波、低い両膝を包む浅い刀法の衣文など、よく平安仏師の定朝風の刀法を表している。・・・(116ページ) 

木造十一面観音立像

(7躯、松山市太山寺町 太山寺蔵)

国宝大山寺本堂の本尊諸仏である。堂内内陣にしつらえられた横長の大型厨子を三区に分けて、左右に明治34年指定の十一面観音を3躯ずつ安置し、中央に中尊で昭和32年指定の十一面観音(本堂安置)を安置している。

7躯の十一面観音立像は、いずれも像高143.8から156.3センチメートルの一木造、背刳像であり、6躯のうち2躯がヒノキ材、中尊を含めて他はカツラ材で作られている。

その温和な肉づき、穏やかな彫法には藤原時代後期の特色を表している。・・・(117ページ) 

木造十一面観音立像

(1躯、大洲市長浜町 瑞龍寺蔵)

瑞龍寺は、肱川河口左岸の沖浦にあり、通称沖浦観音ともいう臨済宗妙心寺派の寺である。本尊の十一面観音立像は、その昔阿弥陀寺(下関市)にあったという。

平家滅亡の後、平清盛の菩提を弔うため、清盛寺(内子町小田)に移り、更に如法寺(大洲市)の盤珪禅師のもとに移されたが、ときの大洲藩主加藤泰恒が海上安全、海事繁盛を祈願して沖浦の地に堂を建てて安置したものと伝えられる。

この像は、像高163.6センチメートル、頂上から顎まで37.9センチメートル、面幅17.9センチメートル、臂張り43.6センチメートル、一木造の立像である。端麗な面相はやや長く、幾分写実的なプロポーションとともに、官能的な美しさを感じさせる。

藤原時代初期の優れた作品である。・・・(118ページ) 

木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像

(3躯、八幡浜市松柏 梅之堂蔵)

もと忠光寺の本尊、今は「梅之堂三尊仏」といわれ、堂は保安寺が管理する。その胎内には天和3年(1683)に宇和島藩主伊達宗利が修理したという銘がある。

中尊の阿弥陀如来坐像は定印を結んで結跏趺坐し、像高138.5センチメートル、膝張り13.3センチメートル、耳張り32.7センチメートル、頂上から髪際まで20から34.8センチメートルで、面相は温雅豊麗、衣文の刀法も柔かく、よく均整のとれた像である。・・・

三体いずれも檜材の寄木造で、藤原時代の作とみられる。・・・(119ページ) 

木造仏通禅師坐像

(1躯、西条市中野 保国寺蔵)

仏通禅師坐像は、加茂川の左岸台地上の保国寺にある。

寺は天平年間(729から748)に創建され、その後建治年間(1275から1278)に仏通禅師の徳を慕い、天台宗から臨済宗に改宗したと伝えられている。室町時代初期には寺運盛んとなり、七堂伽藍も整っていたといわれるが、天正13年(1585)の兵火によって焼失してしまった。

仏通禅師(1229から1312)は、初め叡山に登って天台宗を学び、後に聖一国師について臨済に帰し、その高弟になった。

像は、頂上から身底まで78.3センチメートル、頂上から裳先まで115.8センチメートル、寄木造、等身大の頂相彫刻である。円頂肥満の安定した堂々たる像容を示し、いわゆる都作であろう。

個性的表現の巧みさといい、そつのない衣文の意匠といい、まことに手慣れたものがあり、鎌倉時代末ごろの頂相彫刻の円熟した技法をうかがうことができる。・・・(120ページ) 

木造釈迦如来立像

(1躯、今治市玉川町 宝蔵寺蔵)

この像は宝蔵寺釈迦堂の本尊で、163.6センチメートルの像高をもつ立像である。様式は、平安時代に中国の宋からもたらされた京都の嵯峨清涼寺の釈迦如来像に範をとった、いわゆる清涼寺式の像で、頭部の螺髪は縄状をなし波状衣文が全身を包んでいる。

昭和14年の解体修理の際、その胎内から文永5年(1268)2月4日の日付がある・・・墨書銘が発見された。

これにより、鎌倉時代の仏師興慶の作であることがわかる。・・・(121ページ) 

木造空也上人立像

(1躯、松山市鷹子町 浄土寺蔵)

浄土寺は、松山市東南部の鷹子にある。背後に小高い久米山をひかえた本堂は国指定の重要文化財であり、真言宗豊山派に属し、四国八十八か所の札所でもある。

空也上人立像は、像高122.4センチメートル、頂上から顎まで18.6センチメートル、面幅12.4センチメートル、臂張り38.5センチメートル、裾張り33.3センチメートルの寄木造の像である。

容姿は、すでに老境にある上人が、衆上の苦悩を背負い、鉦をたたいて南無 阿弥陀仏を唱えながら遍歴する姿で、口から六字の名号「南無阿弥陀仏」が仏となって現れている。深い刀法と写実性は、鎌倉時代の特徴を表しており、肖像彫刻の優品といえよう。・・・(122ページ) 

木造一遍上人立像

(1躯、松山市道後湯月町 宝厳寺蔵)

宝厳寺は、時宗の開祖一遍上人が誕生した寺といわれ、道後温泉本館にほど近い坂道を上りつめた奥谷にある。寺の創建は7世紀中ごろといわれ、もとは天台宗であったものが、13世紀末に時宗に改められたと伝えられている。

一遍上人立像は、像高113.9センチメートル、頂上より顎まで20.3センチメートル、面幅11.2センチメートル、臂張り32.7センチメートル、裾幅31.2センチメートルの寄木造の像である。太く秀でた眉、意志の強さを示した口元、慎ましい合掌、裾短かな法衣からあわられた素足、それらは崇高な上人の遊行の姿を表現している。

室町時代中期の優れた肖像彫刻である。・・・(123ページ) 

木造御神像、木造女神坐像

(17躯、4躯、今治市大三島町 大山祇神社蔵)

大山祇神社のある大三島は、瀬戸内海のほぼ中央部にあり、古くから瀬戸内海交通の要路である芸予海峡の中心部にある。神社は、古来農耕神であるとともに海の民の神、武の神、鉱山の神として知られ、愛媛県をはじめ全国的にも広く信仰され末社の数も多い。

この神像群は、諸山積神社をはじめとする諸社の神像である。

御神像17躯は、大山祇命坐像、中山祇命坐像、麓山祇命坐像、正鹿山祇命坐像、しぎ山祇命坐像、磐裂命坐像、倉稲魂命坐像、磐長姫命坐像、此之花佐久夜毘売命坐像、大禍津日神坐像、猿田彦命坐像、闇?命坐像、大直日神坐像、火須勢理命坐像、日子火々出見命坐像、木直日神坐像、大雷神坐像で境内の17社に、また女神坐像4躯は本殿横の上津社にそれぞれ安置されている。

像の大きさ、瞋怒の表情の共通性から、同時期の製作とみられ、製作年代に異説があるが、社殿が復興された正応元年(1288)以後の造像と推定されている。・・・(124ページ) 

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