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更新日:2018年4月1日
出典:愛媛県史 愛媛県史 文学(昭和59年3月31日発行)
「第5章 近代現代 第4節 詩」より(抜粋)
日本近代詩の歴史は、明治15年の『新体詩抄』の刊行によってはじまるが、明治・大正を通じて成熟・発展し、大正末期・昭和初頭にかけて転換期を迎え、未来派運動・髙橋新吉のダダイズムの詩・アナーキスティック詩・短詩新散文詩運動を経て現代詩へと移行する。
近代詩・現代詩の区分については明確な定説をみないが、大正末―昭和初の詩運動が質的な転換を日本の詩に迫ったことは事実であって、この転換期をもって近代詩・現代詩を区分するのがほぼ許容されうる見方であろう。
したがって、愛媛の詩も、明治・大正・昭和前期・そして昭和20年以降の昭和後期に分かつ。・・・(593ページ)
近代詩への出発と口語自由詩
『新体詩抄』は明治新詩の出発をうながした。新しい時代にふさわしい新しい詩を創り出そうとする意欲をもって自覚的に試みられた訳詩・創作詩は、従来の伝統的な詩歌には見られなかった新鮮な題材・措辞・詩型によって広く世人の歓迎をうけた。この詩抄は以後、軍歌・唱歌、口誦体方便詩、芸術的純粋詩に分化的影響をあたえた。
なお、愛媛の明治初期における「和詩」については第一節俳句に述べてある。・・・(593ページ)
近代詩の成熟
日露戦争を境にして日本の文学は新しい局面を迎え、自然主義が勃興し、耽美主義思想が登場し、人道主義的風潮が興隆する。これらの思潮は大正的個性の多様な発現を促す。
近代詩の歴史もまたこうした文化趨勢と軌を一にする。・・・(608ページ)
民衆詩と芸術派
昭和は動乱と変革経済成長の時代である。その前半、3分の1にあたる20年間は敗戦によって区切られる。
大正末の大震災後のダダイズムとアナキズムの、いわば叫喚詩からはじまる昭和7・8年までの10年間は、「文藝戦線」「戦旗」などによるプロレタリア詩運動と、「詩と持論」による、いわゆる純粋詩運動の両極端が対峙した時期であったといえる。・・・(612ページ)
戦後詩の出発と展開・現代詩壇の諸相
戦後詩は詩人の戦前・戦中への反省からはじまる。詩人の主体・自立的思想の不在が指摘された。沈黙を強いられた詩人たちの復活、個性的成熟をみせて再出発した詩人たちの狭義の戦後詩の時期は昭和30年をもってほぼ終わる。
真の意味での戦後詩は、青春とともにあった戦時体験を主題として真正面に受けとめて、苦渋に満ちた重厚な詩風をもった詩であった。
そして、それは内向性と屈折性を加え詩作に複雑な陰影を与える。
昭和30年代になると新鮮な若い詩人が活躍するようになるが、これらの詩人たちと戦後生まれのさらに若い詩人たちがまさに現代の詩をささえるにいたる。
言葉の意味性を拒否し情緒性へ挑戦する。詩人の存在確認衝動を主題として成熟と破砕とを内包する。
愛媛の詩活動もこの間めまぐるしい動きを示している。詩誌の主だったものを地域的に挙げてみる。
川之江市(現四国中央市) 樫(三木昇)・冬のうた(個人誌 篠原雅雄)・海 南詩人(高尾栄一 三木昇)・・・(626ページ)
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