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更新日:2018年4月1日
出典:愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)
「概説」より(抜粋)
明治期、洋楽の移入により、賛美歌・唱歌・民衆歌・軍歌が普及し、音楽会や吹奏楽団・合唱が流行、昭和16年音楽放送開始される。
終戦後、愛媛大学教育学部に特設音楽科が設立され、合唱・吹奏熱は高まり、県下の小・中学校、高校は全国コンクールに優勝・準優勝するなど、例年好成績をあげ、愛媛交響楽団も誕生するにいたった。・・・(5ページ)
「第1章 音楽」より(抜粋)
愛媛では明治9年春、布教のためアメリカン・ボード宣教師、アッキンソンが通訳鈴木清を伴って今治、松山で礼拝をしている。
この時、他県の例をみてもわかるように賛美歌を礼拝の一部に加えていたことが推測される。これがおそらく洋楽の我が県における始めての演奏になると思われる。・・・(463ページ)
戦後、いちはやく音楽が行われるようになったのは合唱である。
昭和22年、愛媛県教育委員会とNHK松山放送局の主催による音楽コンクールが開催され、県下各地の小・中・高校生達の合唱が聴こえるようになり、学校に歌声が帰って来た。・・・(476ページ)
戦争も終わり世の中が、ようやく明るさを取り戻し、復興の兆しを見せてきた昭和25年、オーケストラを再びという熱い願いのもとに、山内一郎・浅井健一らの呼びかけで「松山交響楽団」が結成され、4月29日、松山東高等学校講堂で第一回定期演奏会が開催された。・・・(473ページ)
昭和31年城多又兵衛は、東京芸術大学の教授を突然辞任して愛媛大学教育学部の教授として赴任した。
彼は、東京芸術大学附属高校の校長として、同音楽学部声楽科の教授として、我が国音楽界をリードしていた。
その彼が愛媛大学に着任したことによって、にわかに特設音楽科(特別教科音楽教員養成課程)設立の話が持ち上がった。・・・(483ページ)
昭和34年4月、全国8番目の特設音楽科として、第1期生27名を入学させた。・・・卒業生は、県下は勿論のこと全国各地で音楽活動を行い、「愛媛の特音」としてその評価も高い。
とくに県内小・中・高等学校の音楽教員としてはその中核となって活動し、コンクールなどの対外的活動においても素晴らしい成果を上げている。・・・(484ページ)
県下の合唱団の統一組織として昭和36年愛媛県合唱連盟が佐藤陽三らの呼びかけで設立された。
これは全日本合唱連盟の傘下にあり、高校・大学・職場・一般の各合唱団が加わり、年々多彩な活動を続けている。・・・(484ページ)
愛媛交響楽団(愛響)の本県における存在価値には大きなものがある。
この愛媛交響楽団は昭和46年オーケストラを前提にした愛媛弦楽合奏団の公演を契機に翌昭和47年2月、44名からなる発起人会を発足させ交響楽団結成へと進んだものである。・・・(487ページ)
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