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更新日:2018年4月1日

愛媛県史にみる愛媛文化史・絵画

愛媛県史にみる愛媛文化史(昭和まで)

絵画

出典:愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

「概説」より(抜粋)

絵画

古代・中世においては、仏画、古図の類が、わずかに時代の作風を物語っている。

近世以降、伊予八藩の成立に伴い、築城がなされて藩邸にふさわしい美意識が求められ、大洲藩主加藤家から出た文麗は中央でも著名であり、藩絵師としては、松山藩の松本山雪・山月、大洲藩の若宮養徳、今治藩の山本雲渓、宇和島藩の大内蘚圃、西条藩の小林西台らがおり、南画系では吉田蔵沢は異色の画風を発揮した。

近代では、松山の天野方壺、矢野翠鳳・土居の続木君樵・安藤正楽、川之江の三好藍石、宇和の白井雨山、宇和島の村上天心らがあり、今治の矢野橋村は大阪で活躍した。

洋画では、下村為山・中川八郎らが先駆者となり、野間仁根、デザインの杉浦非水、挿絵の高畠華宵らも中央で活躍し、県下では、塩月桃甫、藤谷庸夫らが洋画壇の育成に努め、県美術会も発足して大きな推進力となっている。・・・(5ページ)

「第1章 絵画」より(抜粋)

古代・中世

中世末期の戦国争乱は、わが伊予にとりまことに厳しい時代であった。

数百年にわたりこの地を統治した河野氏も滅亡、それまでに蓄積されたさまざまな文化財も、ほとんど壊滅状態となる。・・・

古代・中世を通じ仏教文化の隆盛とともに県内各地に建立された古社寺には、その縁起・仏画の類も数多く作られたが、そのごく一部が、・・・県指定の文化財となっている。・・・(12ページ) 

近世

愛媛における近世絵画の幕開けは戦国争乱が収まり、幕藩体制による伊予八藩成立のころからである。

松山・今治・宇和島・大洲など各藩の築城、藩邸の造営など新しい建設時代の要請に基づき召し抱えられた絵師たちを中心に展開していく。・・・

当初は、なんといっても藩の絵師が中心となり新時代を切り開いていく。・・・(13ページ) 

松山藩

松山藩初代の絵師は松本山雪である。彼は松山松平初代の藩主定行に見いだされ、その転封に伴い松山入りをする。・・・(14ページ) 

大洲藩

代々の(大洲)藩主は自ら絵をたしなみ、諸芸に秀で、特に三代藩主(加藤)泰恒、その子文麗はいわゆる殿様芸の域を脱し、中央画壇でも高名の画人であった。・・・(25ページ) 

今治藩

今治藩の絵師は、・・・松平三代藩主定陳が、木挽町狩野常信の弟子富元守供を江戸より招き藩絵師としたことに始まる。・・・(28ページ) 

宇和島藩

慶長19年(1614)、仙台藩主伊達政宗の長男秀宗が宇和島10万石に報ぜられる。

以後、宇和島は南予の中心とし、伊予八藩の中でも特異な文化圏を形成する。

絵画の分野においても、中央からの狩野派移植も見られず、土佐大和絵系画人の影響を受けた三好応山・応岸父子等の、地域に根ざした風土色が目立つ。・・・(32ページ) 

西条藩

西条藩は旧河野氏の血を引く外様の一柳家改易後を受け、親藩の松平家が寛永10年(1670)3万石に封ぜられ、以後明治まで連綿と続く。・・・

その西条藩の絵師小林西台は、寛政6年(1794)、藩士小林滝蔵の子として江戸に生まれる。・・・(35ページ) 

幕末・明治

どこの国、いずれの時代も、革命戦乱の時は、美術など精神文化の衰退は古今東西皆同じである。

日本における幕末・明治の動乱もその例外ではない。桃山以来三百年にわたり、日本絵画最大の画流として繁栄を続けた狩野派の末路は特にあわれである。・・・

ところが、その暗黒といわれる時代に、意外にも、ただ一つの例外がある。

それは南画の隆盛である。幕末から明治にかけ、日本南画は全盛期を迎える。・・・(44ページ) 

明治・大正

維新の動乱もどうやらおさまり、明治も20年代になると岡倉天心・フェノロサらの提唱による東京美術学校の開設、日本美術院の創立など明治新日本画の革新運動が活発となり、幕末以来の伝統的な保守画流との対立抗争も激しくなる。・・・

そうした東京・京都の革新画流が、やがて県出身の画家たちにより導入され、わが愛媛画壇も新旧画流の対立抗争が激しくなり、さらに加えて洋画の台頭も目ざましく、各派入り乱れての群雄割拠の状態となる。・・・(59ページ) 

昭和5年

混迷が続いていた県美術家の間にも、やがて一体感を求め、ぜひ総合美術展をとの声が高まり、それが県当局を動かし、・・・第1回愛媛美術工芸展が開かれる。昭和5年10月15日から5日間、会場は県公会堂である。・・・(85ページ) 

昭和21年

敗戦後5ヶ月、昭和21年1月28日から6日間、焼け野が原に建ったばかりの御宝教会を会場に、その展覧会(県代表美術展)は開かれる。

戦後混乱の真っただ中で、出品作家も長い間のうっ屈を一挙に爆発させたかと思わせる力作を出陳、各方面からの異常な反響を呼び、連日押すな押すなの大盛況であった。・・・(92ページ) 

昭和27年

県美術会新発足の2ヶ月後の(昭和27年)11月1日から5日間、第1回愛媛県美術展(略して県展という)開催のはこびとなる。

会場は、三越・ヤママン・伊予鉄会館・商工会館・県立図書館の5か所である。・・・以後、県展は翌28年の春第1回春季展、秋の第2回展から今日まで30余回、愛媛美術の推進力として順調な歩みを続ける。・・・(97ページ) 

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スポーツ・文化部文化振興課 文化振興グループ

〒790-8570 松山市一番町4-4-2 

電話番号:089-947-5581

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