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在伯愛媛県人会創立60周年記念式典知事祝辞

ページID:0010948 更新日:2013年11月27日 印刷ページ表示

日時:平成25年11月10日(日曜日) 10時(現地時間)

場所:在伯北海道協会会館

 

 

 御紹介をいただきました愛媛県知事の中村でございます。

 今年度の初め頃でしたか、西村会長さんが、はるばる愛媛県までお越しになられまして、在伯愛媛県人会の60周年の式典を盛大に行いたいという気持ちを伝えていただきました。その気持ちを受け止めまして、県議会御有志の皆さん、市長会、そしてまた町村会、さらには海外協会の民間の皆さんにも御賛同いただきまして、訪問団を結成し、来伯する運びとなりました。

 何よりも団を代表いたしまして、60周年を心からお喜び申し上げますとともに、こうした素晴らしい歓迎の気持ちをわれわれに表していただいたこともあわせて感謝を申し上げたいと思います。

 この式典の開催に当たりまして、福嶌総領事が政府の代表としてのお立場で錦上に花を添えていただきました。また、日系人として日系社会の福祉向上や、ブラジルの発展のために御尽力をされている安部連邦下院議員も御出席いただきました。

 そして来伯早々、私たちを迎えていただいた愛媛県今治市にルーツをお持ちのジョージ・羽藤さんにおかれましては、5年前、私は松山市長の立場で参加をしましたが、そのときはサンパウロ市議会議員であったと記憶しております。今回5年ぶりに再会しましたら、州議会の副議長の要職に就かれているということでありました。愛媛県にルーツを持たれている方の御活躍、本当に県人としても大変うれしく思っております。また、そのときに愛媛県に来られた際のお話をしていただいたり、この愛媛県人会に出席されるのですかとお聞きしましたら、何が何でも出席をするんだという強いお気持ちが伝わってきました。

 こちらに来てから、早速慰霊碑の方に献花をさせていただきました。そして移民史料館に足を運びまして、みんなでその長い歴史の足跡を感じてまいりました。本当に今とは全く違う時代の中で、一世の方々の御苦労は並大抵のことではなかったかと思います。またその間、戦争もございましたから、苦難の道のりの歩みをみんなそれぞれの立場でかみしめていました。さらにそのフロンティア精神が、今では二世、あるいは三世、そして四世の方々に語り継がれて、このブラジルの地でたくましく生きておられる姿にも本当に思うところがございます。

 この史料館でちょっとした出来事がありまして、個人的なことで恐縮なのですが、ブラジルに移民されていた方々のデータベースが集約されているそうで、パネル画面にタッチをすれば誰がいつどの船で渡って来たかという記録が出てくる話を聞きました。

 私の父が移民でこちらの方に4年間だけではありましたけれども、二つ上の兄、伯父さんに当たりますが、移民してまいりましたので、そんな記録もひょっとしたら出てくるのかなと思って試しに父の名前を打ち込んでみました。驚いたことに父の名前が出てきまして、1933年の10月に、りおでじゃねいろ丸でサントス港に着き、そしてアリアンスに向かったという記録が画面の中に出てきたところです。

 ただ一瞬ちょっとおやっと思ったことがありまして、父の名前一人が出てくるのであれば問題なかったのですが、そこに愛媛から来た女性の名前が一緒に出てきました。これは誰かに見られてはまずいとすぐに画面を消しましたけれども、後でもう一回押してみて、その答えが分かりました。一緒に来たお兄さんの方の名前を打ち込みますと、こちらは一人で出てきた。それはお兄さんの奥さんが、私の父の奥さんとしてデータベースに出ていると。これは後で修正をしていただかないと困ったものだなと思いましたが、本当にそういった特別な思いを移民史料館では味わえました。

 昨日は県人の方でこちらで活躍されているサクラ醤油の工場と前会長の藤原さんの農園にみんなでお邪魔させていただきました。5年前と比べて、工場もそして農園もはるかに成長し、規模が大きくなっている現実に触れることができました。ますますもって県人の皆さんの御活躍を目にすることになったわけでありますが、その御活躍に、本当に敬意と喜びを感じた次第でございます。

 来年ブラジルでは、ワールドカップが開催されますけれども、日本代表もワールドカップの参加が決まりました。その日本代表チームに長友選手がたぶん選ばれると思います。彼は愛媛県人ですので、もしこちらに来たときには格別のエールを長友選手に送っていただきますようよろしくお願い申し上げます。

 さて、この在伯県人会は、こちらの二世・三世の皆さんと愛媛県の懸け橋となるべく、そういったところでも大きな力を発揮していただいております。1971年からは県費の留学生制度がスタートいたしました。また、1977年からは技術研修員として9カ月の訓練留学も実施に移されてきたところです。ちょうど今年度、技術研修員を受け入れている三浦工業という愛媛県に本社のある会社は、日本で最大のボイラーメーカーでありますが、昨年からブラジルに拠点を置きましたので、これから皆さんに近しい存在になっていくのではないかと思います。

 皆様のルーツ愛媛県も、いろいろと課題はありますが、がんばっています。今でもかんきつにつきましては日本の都道府県の中で最大の産地でございます。また、養殖の魚、こちらも日本で最大の産地でございます。こうした農業・漁業だけではなく、紙・パルプや造船・タオル、あるいはエレクトロニクス関連、カーボン素材、こうした日本を代表する工場が林立しているのも愛媛県の特色です。

 近年では、愛媛県と広島県を結ぶ瀬戸内しまなみ海道を世界中のアマチュアサイクリストの聖地にする事業がスタートしています。来年はこのしまなみ海道の車道を使用して世界中のサイクリストに開放するイベントを実施予定で、おそらく海外からも多くの方が訪れて、1万人規模の大会が開催できるのではないかと思っています。

 高速道路も順次できてきました。南の方が課題でありましたが、今では松山から宇和島まで1時間で行けるようになりました。皆さんそれぞれのルーツである愛媛県、機会があればお帰りいただきまして、その発展ぶりというものをぜひとも味わっていただけたら幸いに思っております。そのときにはみんなで歓迎をさせていただきますので、その日が来ることを楽しみにしています。

 60周年を境にしまして、今後は65年、70年と歴史が刻まれていきますけれども、この60周年を機に、ますます愛媛県人会の結束が強くなり、そしてそれぞれ会員の皆さんが成功され、さらには愛媛県との関わり合い、絆というものが一層深まることを祈念申し上げまして、今回の訪問団を代表しての挨拶とさせていただきます。本日は60周年、誠におめでとうございました。


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