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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化 > 文化財 > 四国遍路関連文化財の史跡指定に関する文化審議会の答申について

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更新日:2017年6月17日

四国遍路関連文化財の国指定に関する文化審議会の答申について

国の文化審議会は、6月16日(金曜日)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、下記の「四国遍路関連文化財」の追加及び新規指定について、文部科学大臣に答申しました。

指定答申された資産

【史跡】

(1) 伊予遍路道(アンダーラインが追加された名称)

稲荷神社境内及び龍光寺境内  宇和島市

仏木寺道 ※   宇和島市

横峰寺道 ※   西条市

横峰寺境内  西条市

三角寺奥之院道  四国中央市

仏木寺道・横峰寺道は平成28年10月3日付け指定済、今回拡充(距離延長)

(2) 八幡浜街道笠置峠越 (九州方面の遍路が利用)

八幡浜市 西予市

 

【名勝】

星ヶ森(横峰寺石鎚山遥拝所)

西条市

 

全体地図

 

 

史跡 伊予遍路道 追加指定による名称変更

 

(旧名称)

伊予遍路道

仏木寺道

横峰寺道

 

(新名称)

伊予遍路道

稲荷神社境内及び龍光寺境内

仏木寺道

横峰寺道

横峰寺境内

三角寺奥之院道

 

 

 

遍路道は空海(諡号は弘法大師)ゆかりの寺社を巡る全長1,400kmにも及ぶ霊場巡拝の道で、弘法大師の足跡を追体験する四国を一周する信仰の道である。指定にあたっては、阿波・土佐・伊予・讃岐の旧国名を冠し、それぞれの遍路道を呼称することとしている。伊予遍路道は延長500km以上あり、四国のなかで距離が一番長い。主要街道と重複するため、近代以降改変された箇所が多いが、今回指定を行う箇所のようになお旧状をとどめている箇所がある。

第41番札所龍光寺(江戸時代には稲荷社が札所)と第60番札所横峰寺の各境内と、第65番札所三角寺の奥之院までの遺存状況が良好な約3.8kmの道を追加指定し、名称を変更する。

稲荷神社境内及び龍光寺境内

四国八十八ケ所霊場第41番札所龍光寺は、愛媛県宇和島市三間町字戸雁に所在する真言宗御室派の寺院で、江戸時代までの神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。明治時代初期の神仏分離までは稲荷社が札所であった。

稲荷神社本殿等の建築様式から18世紀後半の建築とされ、隣接する旧観音堂(現廣田神社)の建物も、その建築様式から18世紀初頭とされており、江戸時代中期には稲荷社としての今日に続く景観が成立していた。なお、江戸時代前期には既に、「立光寺」という名前で神宮寺としての龍光寺が成立していた。

 

地図2稲荷神社及び龍光寺境内

位置指定及び範囲

写真1

稲荷神社境内及び龍光寺境内の中心部

 

横峰寺境内

四国八十八ケ所霊場第60番札所横峰寺は、愛媛県西条市小松町石鎚にあり、真言宗御室派の寺院で石鎚信仰にもかかわる霊場である。その創立については、明確な史料を欠いているが、同寺に所蔵されている金銅蔵王権現御正体(みしょうたい)(愛媛県指定有形文化財(工芸品)、昭和40年4月2日指定)は鍍金銅製で、平安時代末期頃の製作と推定されており、その頃までに石鎚山を信仰の対象とする山岳信仰の霊場として成立していた可能性が高い。

明治時代の廃仏毀釈により廃寺になるが、明治末年に現在地に復興され今日に至っている。

 

地図3横峰寺境内

位置指定及び範囲

写真2横峰寺境内中心部

横峰寺境内の中心部

 

三角寺奥之院道

奥之院道は、四国八十八ケ所霊場第65番札所三角寺(愛媛県四国中央市金田町)から三角寺奥之院仙龍寺(愛媛県四国中央市新宮町馬立)を経て第66番札所雲辺寺)(徳島県三好市池田町)に至る道の一部である。

『四国遍路道指南』(貞享4年〔1687〕)、『四国遍路霊場記』(元禄2年〔1689〕)では三角寺には大師堂がなく、奥之院本堂が三角寺の大師堂と見做されていた。そのため、第65番札所三角寺で本尊十一面観世音菩薩に詣り、次いで弘法大師に参拝するため奥之院仙龍寺に寄ってから、次の札所第66番札所雲辺寺に向かった。今回、三角寺の境内を出たところから、4丁石までの間、約3.8kmを指定する。

 

地図4三角寺奥之院道

指定位置及び範囲

写真3

三十六丁石近くの遍路道

 

史跡 八幡浜街道笠置峠越

西予市宇和町卯之町と八幡浜を繋ぐ八幡浜街道の一部で、西予市宇和町岩木と八幡浜市釜倉の間にある標高397mの笠置峠を越える道である。南麓の安養寺が所蔵する大般若経奥書から、室町時代には峠を越えての交流があったことが窺える。また、宇和島藩主伊達家の記録や小原村(西予市宇和町小原)の庄屋清家家日記から、3代藩主宗贇が元禄14年(1701)にこの道を使って下向しており、以後、歴代の藩主が参勤交代に利用する道のひとつであったことがわかる。

峠に立つ地蔵尊(寛政6年〈1794〉造立)の台座には、「あげいし」(四国八十八ケ所霊場第43番札所明石寺、西予市宇和町所在)などへの道程が追刻されており、西予市側の道端に残る遍路墓の存在からも、この道筋が九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として機能していたことがわかる。道筋は林道の敷設により改変されている箇所があるものの、西予市側約0.5km、八幡浜市側約1.1kmの区間に、道幅が1~2m程の地道が良好に遺存する箇所がある。参勤交代の道として、また、九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として、遺存状況の良好な箇所を指定する。

 

地図5八幡浜街道

指定位置

 

写真4八幡浜街道

八幡浜街道の石畳

名勝 星ヶ森(横峰寺石鎚山遥拝所)

石鈇山横峰寺は四国八十八ケ所霊場第60番札所で、霊峰石鎚山に続く山地の北側中腹(標高約750m)に位置する。星ヶ森は横峰寺の奥の院に相当し、境内地の南西端、加茂川によって開析された石鎚山北側の谷を挟んで石鎚山脈とほぼ並走する尾根稜線の鞍部(標高約820m)に所在する霊峰石鎚山の遥拝所である。「星ヶ森」の名称は、空海がこの地で星に除災求福を祈る法会の星供養を行ったことに由来すると伝えられている。『四国遍路道指南』(貞享4年〈1687〉)に記載がみられることから、遅くとも江戸時代前期には鉄の鳥居が設けられていたことが窺われる。『四国遍路名所図会』(寛政12年〈1800〉)や『四国遍路道中雑誌』(弘化元年〈1844〉)には、石鎚山に向かって尾根の鞍部に鳥居が描かれ「石鈇山遥拝」と記されている。星ヶ森は、石積みによって平場を成し、鉄の鳥居や弘法大師坐像を安置する石龕を配する。霊峰石鎚山を北側から南方に向かって遥拝する固有の展望地点として江戸時代以来の名所で、石積みを伴って形成された平場には鉄の鳥居や石龕などが設えられており、信仰に関連する優れた風致景観を観賞する場として重要である。

 

 

地図6星ヶ森

 

指定位置図

 

写真5星ヶ森

星ヶ森からの眺望

 

 

お問い合わせ

教育委員会事務局文化財保護課

〒790-8570 松山市一番町4-4-2 

電話番号:089-912-2975

ファックス番号:089-912-2974

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