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ハンセン病の知識

ページID:0017597 更新日:2023年7月25日 印刷ページ表示

「ハンセン病」については、正しい知識と理解がないために、今でもこの病気に対する偏見や差別が社会に残っています。
どんな病気であっても、患者の人権が守られる社会でなければなりません。
私たち一人ひとりが、ハンセン病についての正しい知識を持ち、回復された方々が地域に温かく迎え入れられ、安心して生活できる明るい社会を築きましょう。

ハンセン病元患者の御家族に対する補償金制度が創設されました

令和元年(2019年)11月15日に「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律(以下「法」という。)が成立し、同年11月22日に公布・施行されました。
この法に基づき、対象となるハンセン病元患者の御家族の方々に国が補償金を支給します。

ハンセン病元患者の御家族の皆様へのお知らせ[PDFファイル/275KB]

ハンセン病元患者家族に対する補償金Q&A[PDFファイル/466KB]

  • 補償金の請求期限は、令和6年(2024年)11月21日(木曜日)までです。
  • 請求書の提出や請求に関する御相談については、厚生労働省(健康局難病対策課ハンセン病元患者家族補償金支給業務室)の担当窓口に御連絡ください。

厚生労働省 補償金担当窓口
 宛先 〒100-8916 東京都千代田区霞が関1-2-2 厚生労働省健康局補償金担当宛て
 電話番号 03-3595-2262
 メールアドレス hoshoukin@mhlw.go.jp
 受付時間 10時00分から16時00分(月曜日から金曜日。土曜日・日曜日・祝日、年末年始を除く。)

詳しくは厚生労働省のホームページ<外部リンク>を御確認ください。

ハンセン病広告

ハンセン病はこんな病気です。

  • 感染力の極めて弱い病原菌(らい菌)による慢性の感染症です。
  • 感染しても、発病するのはごく一部の人にすぎません。
  • 有効な治療薬により、完全に治る病気になっています。
  • 回復した方と接触しても、感染することはありません。
  • 治癒した後に残る変化は、後遺症にすぎません。

ハンセン病の原因は?

ハンセン病は、ノルウェーのアルマウェル・ハンセンが発見した「らい菌」による感染症です。らい菌の感染力は極めて弱く、乳幼児などの免疫力の弱い人が、多量かつ頻回にらい菌を口や鼻から吸い込まなければ感染することはまずありません。さらに、仮に感染したとしても、発病には栄養状況、衛生環境が大きく関係すると言われていて、現在の日本のような良好な生活環境のもとでは、発病する危険性はほとんどないといえます(例えば、ハンセン病療養所の医師や看護師で、ハンセン病を発病した人は今まで一人もいません。)。
⇒ ハンセン病患者数の推移
なお、感染経路については、現在でも確固たる結論には達していません。かつては、皮膚と皮膚の接触による接触感染が有力でしたが、近年では、鼻汁などが飛沫となり上気道、呼吸器系を通り感染する飛沫感染が有力になっています。

症状と治療方法は?

多剤併用療法の薬

ハンセン病は、基本的には皮膚と末梢神経がおかされる病気です。有効な治療薬がなかった時代には、手、足、顔の変形や視力障害などの後遺症を残すこともありましたが、1943年に「プロミン」という薬がこの病気によく効くことが報告されて以来、色々な薬が治療に用いられるようになり、完全に治る病気となりました。現在では、WHO(世界保健機関)が提唱したMDT(多剤併用療法)により、最長でも2年で完治する病気になっており、さらに、この治療法によれば、わずか数日間の服用によりらい菌の感染力をなくすことができることも確認されています。
なお、らい菌の増殖は極めて緩やかに繰り返されるため、感染から発病までの潜伏期間が著しく長い(数年から10数年)ことや家族内で感染し発病することも多かったため、遺伝病だと誤解されることもありました。

「ハンセン病」と呼びます。

ハンセン病は、かつて「癩病」(らいびょう)又は「らい」と呼ばれていました。平成8年「らい予防法」が廃止されたとき、それまでこれらの言葉にまとわりついていた悲惨なイメージをすべて解消するという意味から、「らい菌」を発見したアルマウェル・ハンセンの名前にちなみ、「ハンセン病」と呼ばれることとなりました。
なお、学問上でleprae(レプラ)という言葉を日本語訳して使用するときには「らい」という言葉を使用します(例えば原因となる細菌は「らい菌」と呼びます。)。また、過去に制定された法律等についても固有名詞の一部として「らい」という言葉を使用します(「らい予防法」は法律の名称なので、そのまま「らい予防法」と呼びます。)。

ハンセン病はどうして恐れられたの?

次のような理由で、偏見や差別を受けやすかったと考えられます。

  • 病気が進むと、顔や手足などの目立つところが変形したり不自由になったりすることがあったこと。
  • 有効な治療薬がなかったころは、治らない病気と考えられていたこと。
  • 同一の家族内で発病することがあり、遺伝病と誤解されていたこと。
  • 「らい予防法」という法律により、患者を強制的に療養所収容・隔離したり、患者の出た家を消毒したことなどから、「強い感染力を持った恐ろしい病気」という誤ったイメージが社会に定着してしまったこと。

強制収容・隔離

ハンセン病患者に対する強制収容・隔離政策は、明治40年(1907年)の「癩予防ニ関スル件」から平成8年(1996年)の「らい予防法」の廃止まで約90年も続けられました。特に昭和初期の軍国主義の時代にはハンセン病患者を「日の丸の汚点」、「国辱」などと差別し、官民一体となってハンセン病患者をなくそうという「無らい県運動」という運動が全国的に進められました。
感染力は弱く、本来、危険な病気ではなかったハンセン病ですが、一度療養所に入所させられた人は、病気が治っても自由に退所や外出することができず、療養所では「患者作業」という労働を強いられ、「懲戒検束」と呼ばれる裁判を経ない罰を与えられたり、さらに、結婚の条件に断種や堕胎を強いられることもありました。
このような過酷な強制収容・隔離政策は、社会にハンセン病は「強い感染力を持った恐ろしい病気」、「隔離しなければならないほどの怖い感染症」などという誤ったイメージを定着させることとなり、差別を助長することになりました。

強制収容・隔離は必要なかった

必要なかった法律として「らい予防法」は廃止されました

ハンセン病はもともとそんなに恐ろしい病気ではありませんでした。
特に特効薬ができてからは、患者を強制収容・隔離するほどの特別な病気ではなくなっていました。しかし、患者を強制収容・隔離する「らい予防法」が存続し続け、見直しが大きく遅れたことが、結果として患者やその家族の方々に苦難と苦痛を与えてしまいました。
このようなことから。平成8年(1996年)4月1日に「らい予防法」は廃止され、同時に療養所に入所されている方々の医療、福祉及び生活の維持を目的とした「らい予防法の廃止に関する法律」が施行されました。

裁判で国の誤ちが認められました

平成10年(1998年)7月、ハンセン病の元患者の人たちが、「らい予防法」を40年以上にわたって放置した国の過ちを問うため、熊本地方裁判所に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を提訴しました。この裁判で、熊本地方裁判所は平成13年(2001年)5月、元患者の人たちに対する人権侵害について国と国会の責任を認める判決を下し、その後、国は控訴を断念し、元患者の人たちに謝罪しました。
この裁判によって、国が行ってきた強制収容・隔離政策は誤りだったことが明らかになりましたが、残念ながら社会にはなお偏見・差別が根強く残っていて、元患者の人たちに苦痛と不安を与え続けています。

県も過去の過ちに対して謝罪しました

ハンセン病患者に対する強制収容・隔離は国の政策であったとはいえ、県も機関委任事務として患者の収容等を行ってきました。熊本地裁での判決後、県も政策の一翼を担い結果的に患者の人権侵害にかかわったことを深く反省し、知事が愛媛県出身の入所者に対して謝罪の手紙を送付するとともに、知事又は県幹部が愛媛県出身の方が入所している療養所を訪れ、直接、入所者の方々に謝罪の意を伝えました。

ハンセン病の患者・回復者に与えつづけた苦しみとは?

長島愛生園納骨堂の写真

  • 親や兄弟姉妹と一緒に暮らすことができない。
  • 自由にふるさとに帰ることができない。
  • 実名を名乗ることができない。
  • 一生療養所から出て暮らすことができない。
  • 結婚しても子どもを持つことができない。
  • 死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない。

こうした生活をハンセン病の患者・回復者の方々の多くは強いられてきました。
「らい予防法」が廃止された現在でも、社会に残る偏見・差別から、このような苦しみを持ちつづけている人が多くいます。
全国の療養所では、2万3千人を超える人が亡くなり、多くの人の遺骨がそれぞれの療養所の納骨堂に納められています。

療養所の現状は?

大島青松園の写真長島愛生園の写真

令和3年5月1日現在で、全国13ヶ所の国立療養所、1ヶ所の私立療養所で、1,004人の方が生活されています。これらの人たちのほとんどは、すでにハンセン病は治っていますが、高齢であること、失明や手足の変形などの後遺症を持たれている場合もあること、長い間の隔離政策から家族や知人が少ないこと、今もなお社会に偏見や差別が残っていることなどの理由から、療養所を出て生活することが難しい状況にあります。しかし、多くの方が、地域の人たちとの交流に参加したり、様々な趣味に積極的に取り組んだりして、前向きに明るく人生を生きていこうと頑張っておられます。
⇒ 全国のハンセン病療養所入所者数

私たちにできること。しなければならないこと。

ハンセン病療養所で生活されている方々の過去の時間を取り戻すことはできませんが、これらの人たちのこれからの明るく楽しい生活への支援は、私たちに課せられた重要な課題です。

  • ハンセン病を正しく理解し、それを家族や周囲の人に伝えてください。
  • 療養所で生活されている方が、安心して療養所の外でも生活できるよう、また、いつでもふるさとに帰ることができるよう、支援の輪をひろげましょう。

大島青松園風の舞の写真

ハンセン病療養所では、亡くなっても多くの人の遺骨が家族に引き取ってもらえず、療養所内の納骨堂に納骨されます。
左の写真は、大島青松園(香川県)にある「風の舞」というモニュメントです。このモニュメントは、亡くなった人を火葬し納骨した後のお骨が納められています。平成4年(1992年)に入所者の方、療養所の職員、そして、多くのボランティアによって造られました。
モニュメントには、「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ自由に解き放たれますように」という願いが込められています。

ハンセン病で間違ったことを二度と繰り返してはいけません。

  • 病気や障害を持つ人を差別せず、全ての人が共存でき、しかも全体として前進できる社会を構築しましょう。
  • 全ての人に対して、思いやりの気持ちを持って接しましょう。

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このページに関するお問い合わせ先

健康増進課 感染症対策グループ
〒790-8570 松山市一番町4-4-2
Tel:089-912-2402 Fax:089-12-2399​
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